乳腺と向き合う日々に

2023.11.02

血液で、尿で、唾液で がんを早期発見する、ことについて

最近 血液や唾液、尿など、体液を送るだけで遺伝子チェックをし、それによってがんに罹患している可能性をチェックします、という宣伝が目立つ。

遺伝性のがん、つまりがんになりやすいかどうか、を調べるのであれば理解できる。お母さんが乳がん、おばあさんも乳がん、いとこにも乳がんの人がいる。こうした遺伝的な生まれついての性質は検出できる。でもそれだとよほどコンタミネーション(ほかの人の遺伝子が混じってしまうこと)に気を付けないといけない。唾液や尿が不向きなのは理解できるはずである。

今回考えたいのは、血液、尿、唾液で早期がんの検診ができるのか、である。これだってコンタミネーションが起こるとまずいのだが。

膀胱がんの細胞が尿から、白血病細胞が血液から検出されるなら理解できる。しかしたとえば大腸がんのがん細胞が血液から証明されればそれは由々しき事態だ。どう考えても早期がんよりもすでに全身転移しているのではないか、と考える方が自然だ。まして乳腺である。乳がん細胞が血液の中から証明されるなら、当然骨髄中にも浮遊しているだろう。転移病巣として確立しているかどうかはさておき、当然骨転移を有する進行がんを想定する。

これに対して“ctDNAを調べる”という考え方がある。

ctDNAはcirculating tumor DNA (ctDNA)の略である。血液中に循環しているがん細胞の、がん細胞のDNAという英語である。当然血液中には正常な細胞のDNAは山ほど流れているので、それを調べても仕方がない。

DNAは記号なので、現在の研究室ではその情報さえあればその遺伝子を作成できる。まして少量でも回収できれば、それを無限に増幅し複製できる。これを利用して、がん細胞によく認められている遺伝子の異常配列をいくつかピックアップしておき、それが血液中にDNAの“破片”として流れていないか、チェックするという方法である。

がん細胞のような大きなものがそのまま血液に流れていればもはや末期癌だろう。しかし遺伝子の“断片”であれば、小さなものなので早期がんであっても血液中には流れているのではないか、そしてそれを検出できればスクリーニングできるのではないか。

まあ、わかる。発想としてはわかる。

ただその遺伝子のかけらはどこから来るのか?当然がん細胞だろう。そのがん細胞がどこにあるのか?乳がんであるのならば、乳腺の内部にとどまっているのか?それともすでに血液中、骨髄中にあるのか?後者であるのなら、がん細胞を探すことと同様、早期発見には役立たない可能性が高い。早期発見に役に立つには、乳腺内にとどまっていて、血液中や骨髄中にがん細胞が移行していない状態で、がん細胞のDNAを検出する必要がある。

がん細胞が、血液、骨髄に浮遊していても、転移病巣を形成していなければ、まだ早期である可能性がある。がんは形成された早期から血液、そして骨髄に移行し、浮遊している、という説がある。見かけ上早期がんであっても、血液の供給を受け、栄養や酸素をもらっている以上、それはあり得る。つまりがんは発生すればすぐに血液や骨髄に移行する。転移しているかどうかは、転移巣を形成しているかどうか、他臓器に定着しているかどうか、その違いに過ぎない、そういう考え方がある。がんは発生した時から全身病、という考え方である。Fisherらによって提案された。詳細はここでは省くが、近藤誠先生が言われた「患者よ、がんと闘うな!」の著書の根拠もここにある。

ただそれを推し進めてしまうと、早期がんという概念が崩壊してしまう。

がんが治療できないのは、切除しても消えないから。つまり全身転移しているから、とされてきた。全身転移していればがんを完全切除できないから、当然治せない。

早期発見が必要なのは、転移する前に見つける、つまり切除で完全にとり切ることができるうちに見つけようとしているのである。もしできるや否やすでに転移は発生しており、血液、骨髄中に生きているがん細胞が浮遊しているのであれば、がんが治るかどうかはどのがん細胞が病巣を形成できる能力を持っているかどうかで決定することになる。早期で発見してもしなくても、治るもの、転移巣を形成する能力のないがん細胞で形成されたがん、は最初から治ると決まっているのであり、治らないもの、転移巣を形成する力を持っているがん細胞で形成されたがんは、手術では治らない。そうなれば、がんを小さく見つける意味はほぼなくなってしまう。つまり早期がんの概念そのものが成り立たなくなるし、そもそも早期がんを発見するためにctDNAを調べる意味も崩壊してしまう。治るがんは治る、治らないがんは治らない。「患者よ、がんと闘うな!」となってしまうのである。

ctDNAを調べるのであれば、したがってがん特有の遺伝子配列の検出に重きをおいても意味がない。“がんは早期から全身病“説が正しいなら、がん患者から検出されなければおかしい。原則としてがんの患者さんすべてから発見されるはずである。そしてctDNAが検出されることでがんかどうかはわかっても、少なくとも早期発見ではない。“がんは早期から全身病“説が正しいのであれば、がんかどうか、検出するのではなく、そのがんが転移病巣を形成する能力を持っているかいないか、を検出することに方向性を変えるべきだろう。

ひるがえって “がんは早期から全身病“説が間違っているとしても、それでもおそらくctDNAを調べることで早期発見はできない。

ウィルスはDNAであったり、RNAであったりするが、ほぼ遺伝子そのものである。

遺伝子そのものが細胞内に入り込み、自分に必要なものそして自分の複製を作らせて、他の細胞に移動する。物質が生物のような振る舞いをしているのがウィルスの遺伝子である。
しかし人間の体はそれほどウィルスに寛容ではない。すべての細胞に遺伝子は存在するが、ウィルスを代表とする体に不要な遺伝子が血液中に入り込むことはそう容易ではない。そうでなければ人間は簡単にウィルス感染してしまう。それなりに血液中に移行させる仕組みが必要である。

DNAは断片だけでは機能しない。なので断片だけを血液中に熱心に送りこむウィルスはなく、ましてそれをがん細胞が熱心に行うことなどはあり得ない。つまりがん細胞自体が血液中に入り込んで壊れない限り、ctDNAは出現しない。ましては血液中に入り込んだ遺伝子が、血液から出て、今度は唾液、尿の中にがんのDNAが出現してきたら、もはやそれは感染症である。体内で形成されたDNAがその形をたもったまま排出されているのだから、それはがんの性質ではなく、ウィルスの性質に近い。血液中に入り込むことも容易ではないのに、その形を保ったまま排出されるとなればもはや感染症だろう。したがって、もし“がんは早期から全身病“説が間違いであるのなら、血液、まして尿や唾液からは検出されない。それはもはや早期がんとは言えなくなる。

ctDNAの検査は、そのがんが転移病巣を形成する能力をもっているかどうか、を調べることができるならば大きな意味を持つ。

たとえばがんがすでに治療され、完治した、とされる患者さんの血液を調べてctDNAを検査する。もしそれが検出され、さらにそのがんが転移病巣を形成する能力をもっているとされれば術後補助抗がん剤を施行しておく、そうでなければ大きながんであっても施行しない、という使い方である。この場合リンパ節転移があればもはや意味はない。そのがんは転移病巣を形成する力があることが証明されているからである。

結論として、ctDNAは早期がんのスクリーニングには役立たないのではないか、そう考えた。皆さんはどう思われるだろうか。