乳腺と向き合う日々に

2025年11月

2025.11.26

HPVワクチン接種で子宮頸がんのリスクが大幅に減少 ― 大規模な研究2本が、安全性と効果を改めて裏付け

「先生、子宮頸がんのワクチンって、本当に安全なのですか?」 

私自身、専門家ではないこともあって、親しくしている産婦人科の部長に質問したことがあります。産婦人科部長先生には、「先生までそんなこと聞くの?」といって叱られました。今回は忙しい部長先生に余計な時間を使わせた、その懺悔としてこのトピックを紹介します。

HPVワクチンは子宮頸がんの発症を大幅に減らすことが判明

子宮頸がんのワクチン接種では、さらに、がんの前段階の病変や尖圭コンジローマ(性器いぼ)も減少することが明らかになりました。重大な副作用の増加は確認されませんでした。

最新の2つの大規模な研究(メタ解析)によると、HPVワクチンには次のような効果があることがわかりました。ちなみにメタ解析というのは、多くの別々に発表された研究をさらにまとめて、一つの結論を導き出す手法です。医学だけに限らず、すべての研究の分野において、一つの疑問に対する現段階での完全な解答を与える手法として認められています。

① 1つ目のメタ解析(132万人超を含む225研究のまとめとして)

16歳までにHPVワクチンを受けた女性は、受けていない人に比べて子宮頸がんになる確率が約80%低いことが示されました。さらに、4.4万人以上を追跡した別の長期研究では、ワクチン接種後の子宮頸がんリスクが63%低下していました。

② 子宮頸がんの前がん病変(CIN3+)も減少

23の研究から、「CIN3以上」と呼ばれる高度異形成(がんの直前の状態)もワクチン接種で明らかに減ることが示されています。特に16歳までに接種した場合、長期的にはCIN3+が74%減少していました。

③ 効果は「早く接種するほど高い」

研究者たちは次のように述べています:思春期早期(性的活動が始まる前)にHPVワクチンを接種した女性では、高度異形成や子宮頸がんの発生が一貫して減っている。ワクチンは若いほど、より大きな予防効果が得られる。

④ 2つ目のメタ解析(RCT 60件・約15万人)

この解析では臨床試験の期間が不十分で、がんそのものの発症は評価できませんでしたが、前がん病変(がんの芽)や性器いぼの発生を減らす効果が確認されています。また、重大な副作用が増えるという証拠は見つかっていませんでした。

HPVワクチンは、前がん病変や性器いぼを大きく減らすことが判明

――特に15〜25歳女性で明確な効果

① 15~25歳の女性では、CIN2+(中等度以上の前がん病変)が減少

研究では、15〜25歳の女性がワクチンを受けると:すべてのHPV型によるCIN2+が6年後に30%減少する(リスク比0.70:ワクチン接種者は非接種者の70%の発症率)。ワクチンがカバーするHPV型によるCIN2+は6年後に60%減少する(リスク比0.40)、とまとめられました。

② 外陰・膣の高度異形成も軽度に減少

15〜25歳の女性では、ガーダシル(4価)やガーダシル9(9価)でカバーされているHPV型による外陰部・膣の高度異形成(前がん状態)もわずかに減ったと報告されています。ちなみにガーダシル(Gardasil)とは、ヒトパピローマウイルス(HPV)感染を予防するワクチンです。日本でも承認されており、子宮頸がんの予防ワクチンとして使用されています。ガーダシルの種類には種類があって、① ガーダシル(4価ワクチン) 対応するHPV型:6・11・16・18型 予防できる疾患:子宮頸がん(主に16・18型)、尖圭コンジローマ(性器いぼ:6・11型) 一部の外陰がん、膣がん、肛門がんの前がん病変。日本でも使用されてきた「HPVワクチン」として代表的なものです。② ガーダシル9(9価ワクチン)対応する型がさらに拡大:6・11・16・18・31・33・45・52・58型 予防効果がより広く、世界的には現在の主流のHPVワクチンである。※ 日本でも2021年に承認され、順次使用が広がっています。

③ 男性(男性と性交渉を行う人)でも効果の可能性

ある研究では、男性同性愛者において肛門の高度異形成が25%少なかったという結果が出ましたが、統計的には明確とは言えず「確実性は低い」とされています。

④ 性器いぼ(尖圭コンジローマ)も大幅に減少

3つのランダム化比較試験(約2万人)では:ワクチン接種した1,000人につき25人分、性器いぼの発生が減少(HPV型にかかわらず、4年後)しました。観察研究47件でも:12か月〜5年で47%減少、5年以上の追跡では53%減少と、大きな効果が確認されています。
研究者は次のように述べています:RCT(臨床試験)で、HPVワクチンがCIN2+や性器いぼを減らす確かな証拠がある。

⑤ HPVワクチンの効果は「短期=RCT」「長期=実社会の研究」で一致

専門家のコメント:①RCTでは短期的に前がん病変の減少が確認されている。②実社会の大規模データでは長期的に子宮頸がんの減少が確認されている。この2つがそろうことで、ワクチンの有効性が非常に確かなものになったと言えます。

⑥ 若年での接種がもっとも効果的

専門家のコメント:より若い年齢でワクチンを接種した女性ほど、効果が高い。そのため、学校での集団接種や、15歳未満での接種が強く推奨される。

⑦ 医師への提言:「自信をもって勧めて良いワクチン」

臨床医はHPVワクチンを自信を持って勧め、安全性に対する患者さんの不安に丁寧に答えるべきです。特に“早期接種”が最大の予防効果につながることを勧めてください。

安全性に問題なし:リスク低減は確認され、副作用の増加は見られず

2つの大規模な解析では、HPVワクチンを接種しても重大な副作用が増えることはなかったと結論づけています。

① 9万7千人以上を対象にした39件の臨床試験では、重大な副反応の頻度はワクチン群と非接種群でほぼ同じであった。

最大6年間の追跡で重大な副作用の頻度に差はほとんどありませんでした(リスク比0.99 ワクチンを受けていない方を100とすれば、受けた方では99ということです。つまりワクチンが原因とは言えない、ともいえます)。これは「ワクチンを受けても重大な副作用が増えたとは言えない」という意味です。

② SNSでよく話題になる“ワクチンの副作用”も増えていない

研究では、SNSでよく言及される症状についても調べられましたが、HPVワクチンとの関連は見られませんでした。

増えていないと示されたもの:

体位性頻脈症候群(起立性の脈の異常)
慢性疲労症候群(CFS)/筋痛性脳脊髄炎(ME)
早発卵巣不全(POF)
麻痺
不妊
複合性局所疼痛症候群(CRPS)

さらに、確実性は高くないものの、ギラン・バレー症候群のリスクが増える証拠もなかったとされています。

③ 研究の限界点:研究の多くは「先進国」で行われた

ただし研究者たちは、今回の解析に以下の限界があると述べています:多くの研究は 欧米・日本などの高所得国 で行われている一方、子宮頸がんが特に多く、検診も普及していない低中所得国ではデータが不足しています。ワクチンの効果自体は期待できるが、地域差を考える必要があるという指摘です。

SNSでよくみられる誤情報 科学的に確認された事実(エビデンス)
「HPVワクチンは危険で、重大な副作用が多い」 重大な副作用は増えていない。 97,272人を含む39件のRCTで、重大な有害事象は接種群と非接種群でほぼ同じ(RR 0.99)。
「体が動かなくなる、麻痺を起こす」 麻痺の増加は認められない。 CRPS(複合性局所疼痛症候群)や麻痺のリスク増加は確認されず。
「ギラン・バレー症候群が増える」 リスク増加を示す確かな証拠なし。 低確実性ながら増加は見られなかった。
「不妊になる」「卵巣が機能しなくなる」 不妊や早発卵巣不全との関連なし。 大規模疫学研究でもリスクは増えていない。
「慢性疲労症候群(CFS)やMEが増える」 CFS/MEも増えていない。 SNSでよく言われるが、関連を示すデータはなし。
「起立性調節障害(POTS)になる」 POTSも増えていない。 ワクチンとの関連なし。
「接種した国で問題が続出している」 世界中で長期データが蓄積され、安全性は国際的に確認済み。 日本・欧米・豪州・北欧など複数の国で同じ結果。
「ワクチンは効かない」 明確に有効。 子宮頸がんリスクは最大80%減少。前がん病変(CIN3+)は74%減少。性器いぼは50%以上減少。
「自然感染で十分」 自然感染では予防できない。 HPVは再感染しやすく、がんリスクも残る。ワクチンはがん関連型を事前に防ぐ。
「ワクチンは新しいから危ない」 すでに17年以上のデータあり、安全性は確立。 1億人以上接種。最も広く研究されたワクチンのひとつ。

ESMO2025から 特にHER2陽性乳がん(Luminal B-HER)についての 新しい知見

今回の記事は乳がんの医療に携わる方向きに書いています。難しいと思われたら、赤で囲まれたまとめだけ目を通していただいても、と思います。

乳がん治療薬エンハーツ🄬( T-DXd) が、転移性乳がんだけでなく「治せる段階」つまり早期乳がんの再発予防にも貢献する可能性

2025年のヨーロッパ臨床腫瘍学会(ESMO)で発表された2つの重要な研究により、エンハーツ🄬(T-DXd)」という新しい抗体薬物複合体(ADC)が、これまでの転移性乳がん治療に加え、早期のHER2陽性乳がんでも「治癒を目指す段階」での使用が期待されることが示されました。

第III相「DESTINY-Breast05試験」では、術前の抗がん剤治療(ネオアジュバント療法)を受けた後も、がんが残っていたHER2陽性乳がん患者1,635人を対象に、現在の標準治療であるT-DM1(カドサイラ🄬)とT-DXd(エンハーツ🄬)を比較しました。

結果として、T-DXdのほうが再発や死亡のリスクを大幅に減らすことがわかりました。

3年後の「無病生存率(がんが再発していない割合)」は、T-DXd群でT-DM1群より約9%高く、再発や死亡のリスクを53%減少させました(ハザード比0.47、P<0.0001)。

この成果は、以前のKATHERINE試験でT-DM1がトラスツズマブ(ハーセプチン)より50%リスクを減らしたことに匹敵する、新たな治療上の飛躍とされています。

ピッツバーグ大学のチャールズ・ガイヤー医師は次のように述べています。「T-DXdは高リスクの早期HER2陽性乳がん患者において、T-DM1を上回る効果を示しました。副作用も管理可能で、今後の新しい標準治療となる可能性があります。」

クリーブランド・クリニックの血液・腫瘍内科部長であり研究の統括者でもあるジェイム・エイブラハム医師も、「これは医療現場の常識を変える発見です。特に、脳への転移(中枢神経再発)を減らす可能性も示されており、承認され次第、医師たちはすぐに使いたがるでしょう」と述べています。

T-DXd(エンハーツ🄬)は、がん細胞表面のHER2というたんぱく質を標的にし、抗がん剤を直接送り込む「抗体薬物複合体(ADC)」というタイプの薬です。これまで転移性乳がんで効果が確認されていましたが、今回の研究で早期乳がんの再発予防にも有効であることが示されました。副作用はあるものの管理可能で、治癒を目指す段階の治療にも有効である可能性が広がっています。

手術前治療でもT-DXdが優れた効果を発揮 ― DESTINY-Breast11試験

2025年のヨーロッパ臨床腫瘍学会(ESMO)の特別シンポジウムでは、HER2陽性乳がんを対象としたもう一つの重要な研究「DESTINY-Breast11試験」の結果も発表されました。

この試験では、手術の前(術前化学治療:ネオアジュバント)に行う治療として、T-DXd(エンハーツ🄬)を使った新しい治療法の効果が調べられました。研究はドイツ・ミュンヘン大学病院のナディア・ハーベック医師らによって実施されました。

この試験には、HER2陽性で再発リスクの高い乳がん患者927人が参加しました。比較されたのは次の2つの治療法です:

1 T-DXd+THP療法(THP=パクリタキセル+トラスツズマブ+ペルツズマブ)
2 現在の標準治療であるAC-THP療法(アントラサイクリン+シクロホスファミド後にTHP)

結果、T-DXdを含む治療では67.3%の患者で「病理学的完全奏効(手術時にがんが見つからない状態)」が得られ、標準治療の56.3%を大きく上回りました(差:+11.2%、P=0.003)。この「がんが完全に消えた割合」は、これまでのHER2陽性乳がんの術前治療を対象とした国際試験の中で最も高い値とされています。

また、2年間の追跡調査では、再発や進行のない状態で過ごせた人の割合もT-DXd群で高く(96.9% vs 93.1%)、良好な傾向が見られました(ハザード比0.56)。

ハーベック医師は次のようにまとめています:「T-DXd+THP療法は、従来のアントラサイクリン(心臓への負担がある薬)を使わずに済む新しい選択肢として、より効果的で副作用が少ない可能性があります。高リスクのHER2陽性早期乳がんの治療法として、新たな標準になるかもしれません。」

T-DXd(エンハーツ🄬)は、これまで転移がんや再発予防で有効とされてきましたが、今回の研究で手術前の治療(ネオアジュバント)でも非常に高い効果を示しました。今後、心臓への負担が少ない新しい術前治療法として、世界的に注目されると見られています。

DESTINY-Breast05試験:T-DXdが遠隔再発や脳転移を減らす可能性も

「DESTINY-Breast05」試験では、術前化学療法後も乳房やリンパ節にがんが残っているHER2陽性乳がん患者1,635人を対象に、T-DXd(エンハーツ🄬)とT-DM1(カドサイラ🄬)を比較しました。この両薬剤とも「抗体薬物複合体(ADC)」というタイプで、HER2というたんぱく質を標的に抗がん剤を直接送り込む仕組みを持っています。治療は3週間ごとに投与され、T-DXdは5.4mg/kg、T-DM1は3.6mg/kgの量で、合計14回(約10か月)行われました。

(ADC:免疫は抗原抗体反応という働きを利用します。体にとって有害なものを免疫細胞(多くはマクロファージ)が攻撃、認識し、その特徴を免疫細胞に伝えます。それを受けて、最終的にはB細胞というリンパ球がその特徴に特異的にくっつくことができる抗体を作り出します。いったん抗体にくっつかれると、体はそれを敵と認識し、様々な免疫細胞が攻撃を始めるのです。ADCはHER2を標的とする抗体を作成し、それに抗がん剤をタグ付けしました。これによってHER2を持つ細胞を特異的に抗がん剤で攻撃することが可能になりました。)

放射線治療も併用可能で、患者の状況に応じて前後どちらでも実施されました。
主要な評価項目は「無侵襲疾患生存率(再発や転移のない期間)」でした。

研究代表の**チャールズ・ガイヤー医師(ピッツバーグ大学)**は次のように報告しています
「T-DXdは、全体的な再発抑制効果だけでなく、遠隔転移(特に脳転移)を防ぐ効果も見られました。死亡数も少なく、安全性もこれまでの知見と大きく変わりませんでした。」

以前の「KATHERINE試験」では、T-DM1によっても脳転移のリスクは減らせませんでしたが、今回のDESTINY-Breast05では、脳内再発はT-DM1群で26人、T-DXd群で17人と減少傾向がありました。遠隔転移なしで生存していた割合はT-DXd群で93.9%、T-DM1群で86.1%(リスク約半減、HR=0.49)。全生存率もT-DXd群で97.4%、T-DM1群で**95.7%**と良好な傾向でした(HR=0.61)。

副作用は管理可能 ― 間質性肺炎には注意

重い副作用(グレード3以上)の発生率は、T-DXd群で50.6%、T-DM1群で51.9%とほぼ同程度でした。ただし、T-DXdでは注意すべき副作用として、間質性肺疾患(ILD:肺炎の一種)が約9.6%の患者に見られ、2名が亡くなっています。

多くの症例は、薬の中止とステロイド投与で回復しました。詳細な回復データは今後発表予定です。

また、吐き気や嘔吐の副作用も比較的多く見られ、
吐き気(グレード2:27.8%、グレード3:4.5%)
嘔吐(グレード2:10.9%、グレード3:1.1%)と報告されています。

そのため、予防的な制吐剤(吐き気止め)をあらかじめ使用することが推奨されています。

さらに、放射線治療後のCT検査で確認された放射線性肺炎も、T-DXd群で28.8%、T-DM1群で27.0%に見られましたが、その多くは軽症(グレード1〜2)で、重症例はありませんでした。

T-DXdはHER2陽性乳がんの再発予防において、T-DM1より優れた効果を示しました。特に脳転移を減らす可能性が注目されています。副作用として間質性肺炎や吐き気が見られるため、慎重なモニタリングと早期対応が重要です。今後、T-DXdは高リスクの早期乳がんに対する新しい標準治療として導入が期待されています。

DESTINY-Breast11試験:10年以上ぶりの新しい術前化学治療 ― 効果と安全性の両立を示す

ドイツ・ミュンヘン大学病院のナディア・ハーベック医師によると、HER2陽性乳がんの「手術前化学治療(ネオアジュバント療法)」において、新しい薬が登場するのは10年以上ぶりです。

これまでの標準治療では、ホルモン受容体陽性(ER/PgR陽性)や腫瘍が大きい・リンパ節転移が多い患者では、抗がん剤治療を行っても、がんが完全に消える割合(病理学的完全奏効率)が低いことが課題でした。(ホルモン受容体陽性HER2陽性乳がんをLuminal BーHERタイプ乳がんと呼びます。ホルモン受容体陰性HER2陽性乳がんはHER2-Enrichタイプと呼び、このタイプではハーセプチンを中心とした抗がん剤がよく効くことが知られています。)

ハーベック医師は次のように述べています 「手術前にがんが完全に消えると、その後の治療負担や副作用を大きく減らせます。しかし、従来の標準治療では短期的にも長期的にも副作用が重いことが問題でした。転移性乳がんで生存期間を延ばしたT-DXdを術前に使えば、より安全で効果的な治療ができるのではと考えました。」

主な結果(DESTINY-Breast11の追加解析)

ホルモン受容体の有無による効果

ホルモン受容体陽性の患者では、T-DXd+THP群:61.4% > 標準治療(AC-THP)群:52.3%
ホルモン受容体陰性では、T-DXd+THP群:83.1% > 標準治療群:67.1%
いずれのタイプでもT-DXdのほうが高い効果を示しました。

残存がんの少なさ(RCB:Residual Cancer Burden)

手術後の乳房やリンパ節にどれだけがんが残っているかを示す「RCB」でも、

T-DXd+THP群の81.3%が “がんがほとんど残っていない(RCB-0または1)”状態となり、標準治療群の69.1%を上回りました。特に、ホルモン受容体陽性の約8割がこの良好な状態を達成しました。

副作用(安全性)の比較

T-DXd+THPは、副作用の発生率が全体的に低く、安全性が高いことが確認されました。

副作用項目T-DXd+THPとAC-THP(現在の標準治療)の比較において
重い副作用(グレード3以上)37.5% <55.8%
左心室機能低下(心臓への負担)1.3% <6.1%
吐き気(グレード3以上)1.9% 0.3%
間質性肺疾患(ILD)4.4% <5.1%
ILDの重症例(グレード3以上)0.6% <1.9%
血液異常・疲労感少ない多い
➡ 心臓への負担や血液毒性が少なく、副作用の質が改善しています。

 T-DXd単剤(1剤療法)の結果(速報)

T-DXdだけで治療した患者の結果は、2024年3月の時点で中間解析が行われ、完全奏効率は43.0%~51.4%でした。標準治療よりはやや劣るものの、単剤でも十分に強い抗腫瘍効果が見られたと報告されています。独立データ監視委員会はこの結果を受け、T-DXd単独治療を継続または標準治療への切り替えを推奨しました。

T-DXd+THP療法は、HER2陽性・高リスク早期乳がんの新しい術前治療候補になります。がんが完全に消える割合が高く、心臓などへの副作用が少ない。特にホルモン受容体陽性(Luminal B-HER)乳がんでも高い効果を示した点が注目されます。T-DXd単剤でも一定の効果があり、より簡便で負担の少ない治療の可能性が見えています。

専門家の意見として

米ハーバード大学医学部准教授で、ダナファーバーがん研究所乳がん部門長のサラ・トラネイ医師は、DESTINY-Breast05試験の成果について次のように述べました。「T-DXd(エンハーツ)を使った補助療法で再発が大きく減少したことは、HER2陽性乳がんの治療において極めて重要な前進です。これにより、早期乳がん患者の大多数が完治を目指せる時代が近づいています。」

DESTINY-Breast05試験では、手術前にHER2標的治療を受けたあともがんが残っていたHER2陽性乳がん患者を対象に、T-DXd(エンハーツ🄬)とT-DM1(カドサイラ🄬)を比較しました。結果、T-DXdを使った群では再発リスクがT-DM1の約半分(53%減)となり、3年間で9%もの差が生まれました。

トラネイ医師は、次のように提言しています。「T-DXdは、手術時にリンパ節転移があるか、もしくは手術が困難なHER2陽性乳がん(T3/T4またはN2/N3)に対して、新しい標準治療とすべきです。一方で、手術可能でリンパ節転移がない患者では、従来通りT-DM1を使うべきです。」

2019年の「KATHERINE試験」では、T-DM1がトラスツズマブ(ハーセプチン)よりも再発を50%減らし、さらに全生存率を34%改善させました。この研究によって、「手術前治療の反応に応じて治療を調整することの重要性」が確立しましたが、それでも一部の高リスク患者には再発が残る課題がありました。

トラネイ医師は言います。「T-DXdは、その作用機序(薬ががん細胞内で抗がん剤を放出する仕組み)から、さらなる改善をもたらすと考えられました。DESTINY-Breast05はまさに、KATHERINE試験で高リスクとされた患者を対象に設計され、結果は予想を上回るほど優れていました。」

T-DXdは顕著な効果を示しましたが、その一方で注意点もあります。トラネイ医師は次のように述べています。「T-DXdは驚くほどの効果を見せましたが、副作用の管理が重要です。重い副作用や間質性肺炎の発生、投与中断や中止の頻度がやや多い傾向があります。」つまり、T-DXdは高い治療効果を持つ一方で、副作用のモニタリングをより慎重に行う必要があるということです。

T-DXd(エンハーツ)はHER2陽性乳がんの再発を半分に減らすことが確認されました。特にリンパ節転移がある・手術が難しい高リスク患者での効果が大きく、新しい標準治療となる見込みです。T-DM1は、リンパ節転移がない低リスク患者で引き続き推奨されます。副作用への注意と個別化治療の重要性が強調されています。

アメリカ・シアトルのフレッド・ハッチンソンがんセンターのサラ・ハービッツ医師は、DESTINY-Breast11試験について次のようにコメントしました。「この研究は、手術前の乳がんの抗がん剤治療(ネオアジュバント療法)で、従来の化学療法を抗体薬物複合体(ADC)に置き換えることで、がんの完全消失率が改善することを初めて示した第III相試験です。」

ハービッツ医師は、試験結果から次の点を指摘しました。今 標準治療とされるアントラサイクリン系薬剤(心臓への負担が大きい従来型抗がん剤)は、今回使用されたエンハーツを併用する非アントラサイクリン療法より副作用が多いことが確認されました。

一方で、T-DXdを使った群では、副作用による治療中止や手術の遅れがやや多かった結果になりました。しかし重篤な副作用である間質性肺炎(ILD)の発生率は低く、転移性乳がん治療時より少なかった。これは、術前では投与回数が4〜8回と短いことが関係していると考えられます。

ハービッツ医師は、今回の試験で比較対象となる標準治療群として使われたアントラサイクリンベースのAC-THP療法についても言及しました。「もし比較対象を、より現在一般的なTCHP療法(ドセタキセル+カルボプラチン+トラスツズマブ+ペルツズマブ)にしていたら、もっと現実的な差が見えた可能性があります。TCHPなら奏効率がさらに高かったかもしれません。」また、TCHPとT-DXd+THPの安全性の差がどうなるかは現時点で不明だと述べました。

ハービッツ医師によると、現在のところT-DXd術前投与で再発のない期間(イベントフリー生存期間)は良好な傾向(ハザード比0.56)を示しており、有望です。しかし、データの成熟度はまだ約4.5%(追跡期間が短い)であり、長期的に生存率が向上するかどうかは今後の検証が必要です。

また、T-DXd単剤での術前治療は高リスク乳がんには不十分との初期結果も示されています。

T-DXdは「術前」か「術後」どちらで使うべきか、について、T-DXdはすでに術後補助療法(DESTINY-Breast05)と術前療法(DESTINY-Breast11)の両方で有効性が確認されました。では、どちらで使うのが望ましいのでしょうか?

この点について、トラネイ医師(ハーバード大学)とハービッツ医師は次のように議論しています。術前(手術前)で使う利点:がんの完全消失率が高まり、腋窩リンパ節の手術を減らせる可能性がある。術前では投与回数が4回程度と少なく, 副作用も少なく生活の質が保たれやすい。一方で、もしタキサン系+パージェタ🄬&ハーセプチン🄬の二重HER2ブロック(THP)だけで完全奏効が得られれば, T-DXdを使わずに済む可能性もある。

両医師は、将来的には「バイオマーカー(遺伝子やたんぱく質の指標)」を使って、誰にT-DXdが必要かを見極める時代になると述べています。具体的には、HER2DXのような遺伝子解析検査が注目されており、これにより治療反応が良い人はT-DXdを使わずに済み、効果が限定的な人にはT-DXdを追加する、といった反応に応じた治療(response-guided therapy)が可能になると期待されています。

「今後は、個々の患者に合わせた“オーダーメイド治療”を進めるための、バイオマーカー研究が鍵になるでしょう。」(トラネイ医師)

T-DXd(エンハーツ🄬)は、術前治療としても初の第III相試験で有効性を示しました。副作用は従来治療より軽めだが、治療中止や吐き気、肺炎リスクに注意が必要です。術前か術後、どちらで使うかは今後の研究で明確化される見込み。HER2DXなどのバイオマーカー検査が、治療の最適化(過不足のない使い方)に役立つ可能性が高いとされます。

筆者: ここまで付き合った方でお医者さんではない方はすごい勉強熱心な方だと思います。今回の結果はじつは標準治療が書き換わることになるものだったので、医師・看護師など乳がん治療に携わる方向けに書いているつもりです。

ただこれだけ抗がん剤が種類も、同じ種類の中であっても多数の新薬が開発され、選択肢が多岐にわたる時代です。本来標準治療は唯一のはずですが(最善は常に一つ)、抗がん剤一つとってももはや何が標準治療か言い切れません。その理由の一つが、乳がんも単純に乳がんというものではなく、何種類もに分類され、さらに遺伝子の解析で反応性が予測され、さらに加えて、治療後の血液内のctDNAを解析することでさらに再発リスクも加味される。こうしたことそれぞれに応じて最適な抗がん剤、ホルモン剤治療が選択される、つまり標準治療が異なるのです。そんな時代が来ていることを踏まえて、「これ、人間で判断できる?」と思えてなりません。

今後 乳がんの化学治療は、というよりもその方に最適化された標準治療は、おそらくAIによって決定される時代が確実に来ると思っています。(一度でもAIに頼ったら、人間は怠け者ですので、それ以降はずっと頼ると思います。)

米国では最近、ホワイトカラー(医師や弁護士など、体ではなく頭脳で仕事をする人たち)よりもブルーカラー(電気工事、大工さんなど体と技術で仕事をする人たち)のほうが給料が高くなる逆転現象が起こっているようです。つまりAIがホワイトカラーの仕事を奪っているのです。AIロボットが誕生するのはまだ先でしょうから、まずはホワイトカラーから仕事がなくなっているのです。おそらくいまの内科医の地位>外科医の地位みたいな医療界の伝統も、どこかで逆転されてきそうな気がしています。さすがに手術ができるロボットはまだできないでしょう。ただ手術が永遠に必要とされるかは別ですが。

良くも悪くもAIは、そしてその影響も、今後もう消えないでしょう。

それを受け入れてどうしていくか、医療もそれを踏まえて考えていかないといけない時代なんだと思います。