乳腺と向き合う日々に

2024年08月

2024.08.04

運動が化学療法による末梢神経障害の回避に有効か

化学治療、特にタキサン系と呼ばれるパクリタキセル、ドセタキセルを投与された患者さんは、治療終了後も長く残る副作用としての末梢神経障害、指先がしびれる、足の裏にずっと違和感がある、絨毯の上を歩いているような感じ、に苦しめられています。
化学治療は終了していて、髪の毛も生えそろい、爪は元に戻った。食欲もある。でもそれだけが治らない。末梢神経障害は年単位で残るため、気にされているかたも非常に多い合併症です。
しかも数年経過したら消えるのならまだ我慢できるでしょうが、医師として、この後遺症はほぼ生涯にわたって残る、ことを覚悟してください、と言わざるを得ないため、なおさら患者さんを苦しめることになります。この後遺症は年齢に依存性があり、若い方ではもともと出現しないことも多く、ある程度あっても化学療法を終了したら速やかに改善していきます。逆に50歳以上の方では症状も強く出て、さらに出た限りはほぼ生涯継続されていることが多いこともわかっています。

私は以前から、自分の経験的によく運動される方ほど、症状が出にくく、また改善もしやすいことを知っていました。その方面から研究したことはないのですが、神経障害に対するさまざまなお薬、漢方薬、有効と言われる様々なお薬を投与してもいままで有効だ、と感じたことは正直ありません。ただ運動をよくされる方では出てこないし、治る。そして若い方はもともと少ないことから、この厄介な後遺症には運動がもっとも有効だ、と思ってきました。私の患者さんであれば、また運動か、先生はいつもそれ、と言われる方も多いはずです。覚えておられるでしょう。

そもそもその方が納得できる理論づけができるからです。
もともと体を構成する細胞の中で神経細胞はもっとも代謝、古いものを捨て、新しいものに作り替える、その働きが遅く、また起こらない細胞になります。逆は粘膜細胞で、胃や腸の粘膜細胞などは数日単位で入れ替わっています。
これは当たり前で、もしそんなに頻回に代謝されていたら記憶もなにも飛んでしまいます。

また神経細胞は体の中でもっとも”長い”細胞でもあります。すべての神経は脳につながり、信号を送り、受け取っているのですが、脳から足先まで、細胞から細胞のバトンタッチはあるにせよ、ほぼ3-4個の細胞の信号の受け渡しで普段の生活は成り立っています。細胞そのものの大きさを考えるなら、むしろ神経細胞は小さな砂、というよりも細い糸、の方が近い形をしています。
そのため、抗がん剤のような化学物質の影響を受けやすく、細胞を破壊こそしなくても、沈着する範囲もかなり大きいものになるはずです。それが代謝されないのですから、症状は消えない、残り続けるでしょう。

では若い方、運動する方ではなぜ後遺症が出にくいのか、それは代謝が盛んだから、です。
逆に言えば、後遺症を無くするためには神経を”壊し”て、むりやり代謝をさせればいいということになります。もちろんそれは簡単ではありません。脳梗塞や、脳出血、脊髄損傷などで神経が破壊された方が何年もかかってリハビリをして機能を取り戻されるように、もともとそんなことはできない、といってもいいかもしれない。けれどもそれしか方法がないのなら、少しずつでも努力するしかない、私はそう考えてきました。それに適度の、この場合は筋肉痛レベルの代謝を起こすレベルの運動にはなりますが、運動そのものには、末梢神経障害が残念ながら消えなかったとしても、頑張って悪いことはありませんから。

そして今回の本題 バーゼル大学(スイス)のFiona StreckmannらによってJAMA Internal Medicineという雑誌に、化学療法を受ける患者の多くが発症する化学療法誘発性末梢神経障害(以降CIPN)の回避には運動が有効である可能性が、新たな研究で示唆されたことが掲載されました。
Streckmann F, Elter T, Lehmann HC, Baurecht H, Nazarenus T, Oschwald V, Koliamitra C, Otten S, Draube A, Heinen P et al: Preventive Effect of Neuromuscular Training on Chemotherapy-Induced Neuropathy: A Randomized Clinical Trial. JAMA Intern Med 2024.

この研究では、運動をしなかった患者でCIPNを発症した者は、運動をした患者の約2倍に上ることが示されたそうです。私の話と少し違うのは、末梢神経障害の治療、ではなく、発症そのものを”抑制する”ということが分かった、ということになります。

研究によれば、化学療法を受ける患者の70〜90%は、末梢神経障害として、痛みやバランス感覚の障害、しびれ、熱感、ピリピリ感やチクチク感などのCIPNの症状を訴え、半数の患者は、がんの治療後もこのような症状が持続するとされます。

今回の研究では、オキサリプラチン、またはビンカアルカロイド系抗悪性腫瘍薬による化学療法を受ける158人のがん患者(平均年齢49.1歳、男性58.9%)を対象にランダム化比較試験を実施しました。

この研究では、感覚運動トレーニング(sensorimotor training;SMT)と全身振動刺激(whole-body vibration;WBV)トレーニングがCIPNの発症や症状の低減に有効であるかどうかが検討されました。

対象者は、
SMTを受ける群(55人)、
WBVトレーニングを受ける群(53人)
運動は行わずに通常のケアのみを受ける群(対照群、50人)にランダムに割り付けられました。

介入群(SMT群とWBV群)は、1回当たり15〜30分間のトレーニングセッションを週に2回、化学療法が終了するまで受けました。

結果ですが、CIPNの発症率はこうしたトレーニングを行わなかった対照群で70.6%であったのに対し、SMT群では30.0%、WBVトレーニング群では41.2%であり、対照群に比べて介入群では有意に低いことが明らかになりました。

また、2種類の介入のうち、より効果が高かったのはSMTで、SMT群では対照群よりも、開眼/閉眼で両足立ちでのバランスコントロール、片足立ち、振動感覚、触覚、下肢の筋力の改善、および痛みと熱感の軽減の程度が大きく、化学療法の投与量削減を受けた患者が少なく、その結果としては当然ですが死亡率も低いという結果になりました。

Streckmann氏は、「CIPNが発生してしまうと、患者に必要な化学療法サイクルが計画通りに実行できなかったり、化学療法に含まれる薬剤の投与量の削減を求められたり、さらには治療の中止など、臨床治療に直接的な影響を与えます」と話します。これは当然 化学治療のパフォーマンスに影響し、しいては乳がんの予後を悪くする結果につながります。

同氏によると、現時点ではCIPNの予防や回復に有効な薬剤は見つかっていません、とも述べています。これについては私も同じ意見を持っており、今でも苦しんでおられる方が多いということはそういうことだと思います。
しかしおそらく日本でも同じですが、米国の医師は毎年、CIPNの治療に患者1人当たり推定1万7,000ドル(1ドル160円換算で272万円)を費やしているといいます。彼は、「これに対し、運動は効果的である上に安価だ」と述べました。これも全く同じ意見です。

以前、米国がん予防タスクフォースが、毎年ではなく、隔年での乳がん検診を推奨した、という話をした際に、確かに乳がん死の抑制は得られるが、それに伴って無駄な検査も増え、医療費が増大する。それならば差し引き0として、毎年の検診は推奨しない、とした話をしました。
それならばCIPNの治療に医療費をかけていくのはどうなのか、とも思います。早期発見が増えれば、そもそも抗がん剤の使用機会そのものを減らせることができるのですから。

間違いなく言えるのは、化学治療を受けられているとき、体調がすぐれず、運動なんて、という気持ちはわかります。それでも少しでも症状が改善し、元気な時を狙ってでも運動を心がけましょう。リハビリの技師さんは大きな病院であればどこにでもおられると思うので、化学療法前、療法中は適切な運動について指導を受けておくことも有効だと思います。まずは意識から変えてみましょう。安静を心がけているだけではいけない、ということでしょう。

スペース

付記:論文からトレーニングの具体的な内容について、翻訳してお示しします。

トレーニングセッションは研究に参加していただき、振り分けが行われた24~72時間後に開始され、治療の完了まで継続されました。これらのセッションはスポーツセラピストの監督と記録の下で行われ、約15~30分間、週に2回現場で練習され、最大の個別進行を目指しました。

◆SMT(安定性向上トレーニング)は、徐々に不安定な表面上で難易度を増すバランスエクササイズで構成されていました。各患者は標準化されたプロトコルに従って1セッションにつき4つのエクササイズを実施しました。各エクササイズは20秒間3回行われ、それぞれのセット間に40秒の休憩を取り、エクササイズ間には1分の休憩を取って神経疲労を避けました。

詳細: 感覚運動トレーニングは、運動制御を改善するために感覚系と運動系の相互作用を最適化するあらゆるエクササイズの総称です。バランストレーニングは、感覚運動トレーニングのサブカテゴリーで、不安定な表面や位置で姿勢制御を維持することを指します。この2つの用語は、しばしば著者によって同義語として使われ、混乱を招くことがあります。

私たちは主にバランストレーニングを行いましたが、患者が立てない場合には、壁や病院のベッドの端で固有感覚トレーニングも含めました。そのため、これを感覚運動トレーニングと呼びます。このトレーニングの目的は、不安定な表面で位置を維持することで神経筋系を刺激することです。最大の進行がこのタイプのトレーニングには重要であるため、正確な実施と最高の効果を確保するためにすべてのトレーニングを監督することにしました。(筆者注:バランスボードのようなものの上で立つ練習なのでしょうか?具体的にはあまり書いていませんでした。)

進行は、表面の安定性を低下させたり、二重または多重タスクを追加することで得られます。(筆者注:立ちながらスクワットをするとかでしょうか。) エクササイズの難易度は外部および患者のフィードバックに基づいて選ばれました。患者は以前に取得した位置を維持する必要がありました。このエクササイズは、神経の再生を確保するために間に休憩を挟みながら3回繰り返されました。

さらに、エクササイズ間の休憩は神経疲労(EMGで平均42秒と判定されました)を避けるために重要です。各患者は1セッションにつき3~5つのエクササイズを行いました。

◆WBV 振動トレーニングは、側面交互振動プラットフォームで行われ、患者は前足に立って、30~60秒の振動期間を4セット行いました。振動周波数は18Hzから35Hzの範囲で、振動の振幅は2mmから4mmで行われ、1分の休憩を取りました。

詳細:振動トレーニングは、側面交互振動プラットフォーム(Galileo™、ドイツ・プフォルツハイム®)で行われました。(筆者注:見る限りバランスマシーンのようです。このサイトを見てください。日本でもありそうです。)各トレーニングセッションは、30〜60秒の振動を4セット行い、振動周波数は18〜35 Hz、振幅は2〜4 mmでした。周波数が最も重要な要素であり、振動時間と位置(これは側面交互振動プレートの振幅を決定する)よりも先に変更されました。各セットの間、患者は疲労を避けるために少なくとも1分間休憩しました。患者には、前足に立つか、もし不安定であれば前足に80/20%の体重配分で立つよう求められました。非常に薄い体操用シューズやタイトで滑りにくい靴下を着用しました。

誤解しないでいただきたいのはなにかこうした運動マシーンを購入しなさいと勧めているのではありません。ただ化学治療の後からになって、何年もあの薬、このリハビリと苦労されるくらいなら、化学治療を受けているときに少し投資してでも予防するほうが結局は安く済むかもしれない、と考えていただきたいということです。